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もう僕は迷わない!

導かれるままに一本道を歩いて行く

【自殺は帰巣本能】アポトーシスという死に方について考える

最近社会問題になっている自殺について考えてみました。そもそも自殺願望は悪いものなのか!?という問いかけです。そこから出発してはじめて生きる価値を見つける魂もあると思います。

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自殺願望を通して生き方を考える!?

生きたくても生きれない魂もあるし、生きているのに死にたいと思う魂もあります。私は自分の人生を振り返る時、この世は諸行無常だと思いました。

ところが最近「アポトーシス」という言葉を知りました。

アポトーシスとはウキペディアによると

多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調整された細胞の自殺、すなわちプログラムされた細胞死のこと。

アポトーシス - Wikipedia

だそうです。

細胞も自殺する? それも全体をより良い状態に保つための積極的な死? そしてプログラムされた細胞死?

え!?マジですか!?

もし細胞に起こっている事が宇宙の縮図なら、自殺者は「全体をより良くする為に積極的な死を選ぶ大いなる魂?」と言う事になります。

そうなると「自殺者を救おう!」という考えはとんでもない上から目線で、自殺者はむしろ救おうと考えている人達を救っている!?という訳の分からない世界へと思考が向かいます。

やはりこれは人智を超えているとしか考えられません。

では自殺願望に悩まされる本人はどうなのか?ですが、これについて少し考えてみたいと思います。

 

何故「死にたい!」と思うのか!?

よく「死にたい!」という台詞を耳にしますが、世の中「本当に死にたい!」と願う人は現にいます。そして願うだけではなく本当に死んでしまう方もいます。

ここに人が考える「善と悪」的なものを持ち込むとやっかいな話になりますのでここではしません。ただそれに至るだけのプロセスを通してそうなっている事は確かです。

ここですべてはメッセージと考えると、本人にしても周囲にしても何か取れる手段もあるかと思いました。それがたとえ死後の事だとしてもです。残された者が生きているからです。

この世は諸行無常だとしても、常にメッセージは届いていて、それに気付いて行動しているか迷走しているかの違いだけか・・・と最近は思うようになりました。

アポトーシスが「管理・調整された細胞の自殺、すなわちプログラムされた細胞死」とすればそれをプログラムした何者かがいる!という事で、これは自分の心臓ひとつ自分の意思では動かしてはいない自分たちにはどうしようもないものです。

 

「死にたい!」から「生かされている!」へ

「プログラムされた細胞死」があるとすれば、それをプログラムした何者かが命をすべてコントロールしている!という事です。かなり乱暴な進め方ですが、プロセスをかなり省いて結論づけています。

そうすると、今「生きている」という事実はかなり大切な事実になります。私は早くこの点を申しあげたかったのです。

「生かされている命」なら「何に使いますか?」という事を考えて頂きたいと思います。生きたいと思いながらも命を奪われて行く魂もありますが、それはそのお役目を果たす為で「死ぬことでしか果たせないお役目」があったのでしょう。

今生かされている者には「生きている」からこそしなければならないお役目がきっとあると思います。

 

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